イソップ物語の「3人のレンガ職人」の話をご存じですか?
モチベーション、働く意味、キャリアマネジメントがテーマのときに 私はよく引用する物語です。

和訳の原文をそのまま引用させていただいて、解説したいと思います。

3人のレンガ職人



ある旅人が町を歩いていると、1人の男が道の脇で難しそうな顔をしながらレンガを積んでいました。

旅人は、その男のそばに立ち止まってたずねました。

「ここでいったい何をしているのですか?」

すると、男はこう答えました。

「見ればわかるだろう。レンガ積みをしているのさ。毎日毎日、雨の日も強い風の日も、暑い日も寒い日も1日中レンガ積みだ。なんでオレはこんなことをしなければならないのか、まったくついてない」

旅人は、その男に「大変ですね」となぐさめの言葉を残して歩き続けました。


しばらく行くと、一生懸命レンガを積んでいる別の男に出会いました。

しかし、その男は、先ほどの男ほどつらそうには見えませんでした。

そこで、また旅人はたずねました。

「ここでいったい何をしているのですか?」

すると、男はこう答えました。

「オレはね、ここで大きな壁を作っているんだよ。これがオレの仕事でね」

旅人は「それは大変ですね」と、いたわりの言葉をかけました。

すると、意外な言葉が返ってきました。

「なんてことはないよ。この仕事でオレは家族を養ってるんだ。この仕事があるから家族全員が食べていけるのだから、大変だなんて言ったらバチが当たるよ」

旅人は、その男に励ましの言葉を残して歩き続けました。



さらにもう少し歩くと、別の男がいきいきと楽しそうにレンガを積んでいました。

旅人は興味深くたずねました。

「ここでいったい何をしているのですか?」

すると、男は目を輝かせてこう答えました。


「ああ、オレたちのことかい? オレたちは歴史に残る偉大な大聖堂をつくっているんだ」

旅人は「それは大変ですね」と、いたわりの言葉をかけました。

すると男は、楽しそうにこう返してきました。

「とんでもない。ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払うんだぜ! 素晴らしいだろう!」

旅人は、その男にお礼の言葉を残して、元気いっぱいに歩き始めました。


~~さて あなたは どのレンガ職人 に近いですか?~~

同じ「レンガを積む」という作業でも 3人の「気持ち」は大きく違ってきます。

どれが正しいか?? というお話ではありません。

どれが理想ですか? という観点で考えてもらえたらいいと思います。

1人目の人は 誰が見ても 文句ばかりで ちっとも楽しそうじゃない。
仕事をする上で こんな風になってしまっているときは 誰でもあるでしょう。
でもず~~~~~っとだったら どうでしょう。 
私は長続きしなそうに感じます。
彼には 仕事は「命令されたこと」でしかないのです。
自分の人生なのに 人に命令された作業をするのみ。 逃げ出すわけでもなく、楽しみを見つけるわけでもない。


2人目の人は かなり多くの人が こんな感じで働いているのではないでしょうか。
仕事はお金、生活のため。だから割り切って いやなことでもやってるんだよ、というものです。
1人目との違いは「何のため」が明確にありますから、命令されたことをただ実行するだけのむなしさはありません。
2人目の彼は「何のため」=「生活・お金」 でした。

では「お金」は目的になるのでしょうか????

お金は持っていることだけで安心するわけではないと思います。

お金があると 「おいしいものが食べられる」 「快適な家を買うことができる」 「楽しく旅行ができる」 「病気になっても安心して医療が受けられる」などなど・・・ 生きていく上で よりよく より安心快適に過ごすために必要な「手段」とも言えるのではないでしょうか。

お金はいくらあれば安心、というものはありません。 あればあるほど いいですよね。
ということは いくらもらっても 「まだ足りない」 と感じる可能性が高くなるのです。
欲望に際限がなくなるわけですね。
いくらもらっても たくさん稼いでも 「これでいい」と思える満足感は なかなか生まれにくくなります。

ですから、本当にお金が必要なら 「何にどれくらい使う予定か」 ライフプランを考えて、その目標額を稼ぐことを考えるほうが具体的数字にどれだけ近づいているか ゴールが見えるわけですから、目標達成しやすいです。この点については ライフプラン、マネープランを考えてみましょう。

さて話を「働く」に戻しますと、働くうえでの満足度を「生活・お金」を目的にしていると お金がもらえなくなると 一気に働く気が薄れてしまうわけです。 そしてもし給与が出なくなると 働くのをやめるのでしょう。

もちろん お金は大切ですし、生活には欠かせません。給与も正しく労働の対価として支給されて当然です。
ただ、このような「外的要因」だけで 自分の「働く」という行動をストップしてしまうことは、環境に影響されすぎてはしませんか? 働くのはあなたの意志なのに、環境が悪くなると 適応できなくなってしまうのは あまりに自分の人生を他人に任せすぎるように思います。


そこで3人目の人です。
彼は 「レンガを積む」という行為について 何に結び付けているでしょう。


「レンガを積む」 ≠ 「命令」

「レンガを積む」 ≠ 「お金・生活」

「レンガを積む」 ≠ 「教会を建てる」


「レンガを積む」 = 「人々の喜び」 に加担する



ただ教会を建てるではなく、村人のため そこで経験できる素晴らしい思い(祝福や悲しみ)に対して 自分がかかわれることへの 喜び を感じているのです。

命令も給与も1人目、2人目の労働者と変わらないかもしれません。
でも3人目の彼は 確実に「自分の喜び」として 同じ作業を担っています。

どうでしょうか。 自分なら どの彼になって 人生をはたらいて みたいですか?


3人目の彼であれば、確実にストレスが軽減されます。
自分の毎日に満足度(今日もがんばった~!)が高くなります。
日々の仕事が楽しければ 自然と笑顔になります。
笑顔の人には なぜか不思議と ラッキー(運)がめぐってきます。
元気な人には 風邪などの体調不良も起こりにくくなります。(免疫力、自律神経の安定)


理想は3人目の彼になることですが、これは人から強制されることではありません。
ぜひ 皆さんにとっての「自分に笑顔と元気をくれるもの」を見つけてもらえると 自然と3人目の彼のようないきいきした笑顔を発見できることでしょう。